ACe建設業界
2011年8月号 【ACe建設業界】
ACe建設業界
特集 人づくり
 第3回 「触」
新幹線の安全確保
天地大徳
遠近眼鏡
世界で活躍する
 日本の建設企業
現場発見
BCS賞受賞作品探訪記
建設の碑
フォトエッセイ
目次
ACe2011年8月号>ENGINEERING ACTION!
 

[特集] ENGINEERING ACTION!
     東日本大震災 ─そのとき現場では─

東日本旅客鉄道株式会社
新幹線の安全確保

 
 
 
[文]
林 康雄(Yasuo Hayashi)
 東日本旅客鉄道株式会社常務取締役

比較的長い揺れが続いた東日本大震災の際、
東京~新青森間では27本の新幹線が営業運転していたが、
時速270kmを超える速さを誇る新幹線を安全に停止させ、
乗客を避難誘導すると同時に調査・点検を行い、震災後50日で
開通にこぎつけた。短期間での復旧工事と安全に対する備えについて、
東日本旅客鉄道株式会社の林常務にお話を伺った。

阪神・淡路大震災の教訓
地震発生直後の対応
新幹線早期地震検知システム
人と物資を運ぶ役割



阪神・淡路大震災の教訓

高架橋柱の損傷(水沢江刺~北上間)

復旧前

復旧後(3/20施工完了)

東北新幹線の場合、実は橋脚や橋桁の損傷はあまり多くなく、むしろ電化柱の損傷が非常に多くみられました。本震での被害箇所数が全部で1、200カ所、余震を含めると1、750カ所でしたが、電化柱の被害は、それだけで810カ所もありました。

 新幹線構造物については、阪神・淡路大震災等の教訓から、2007年度末にはラーメン高架橋柱・橋脚の耐震補強対策(せん断破壊先行型)を完了していました。この耐震補強により、列車をまったく通行させることができないほどの致命的な打撃を受けている箇所はありませんでした。そのため、構造物を一から建設しなおすということはなく、補修だけで済んだ部分が多いです。

  ただし、電化柱・架線については被害が大きく、あちこちで電化柱がハの字に傾き、架線が断線している箇所が見受けられました。そのため、全国から電気工事のスペシャリストを集め、24時間体制で復旧にあたりました。在来線を含め、JR、パートナー会社併せて1日あたり概ね8、500名程度が従事し、3月15日の東京~那須塩原間の開通に始まり、4月12日には那須塩原~福島、4月13日には盛岡~新青森が再開し、その後、4月23日の一ノ関~盛岡、4月25日の福島~仙台が続きました。全国のさまざまな方面からのご協力・ご支援もあり、ついに、4月29日に最後の区間である仙台~一ノ関が開通し全線復旧となりました。連日、地震と津波による被害が報道される中、少しだけ希望の光が見えるようなニュースとなったのではないかと思っています。

 話は変わりますが、震災の翌日にあたる3月12日に全線開業を迎えた九州新幹線は震災があったため、あまり大々的には報道されていません。しかし、この開業を伝えたCMは、ネット上の動画配信サイトでは270万回(7月26日現在)もの視聴がされているようです。地元の人々がみんなで九州新幹線の全線開通を祝って、鹿児島中央発博多行の新幹線に手を振っている姿を新幹線から映しただけの映像ですが、九州人の地元愛と新幹線への期待が伝わってくる、とても素晴らしいCMと評判になっています。当社でも、4月29日の東北新幹線全線復旧の際に「つなげよう、日本」というコピーのCMを作りました。「1日も早く街と町をつなぐ」というナレーションも、離れている人に一刻も早く会いたいと思うそのときの日本人の気持ちがこもっていて、我々にとっても自分たちの業務がいかに大切であるかということを改めて感じるものとなりました。

 ただし、在来線の津波による被害部分に関しては、まだこれからです。八戸線については着工から1年以内での復旧を考えていますが、仙石線、常磐線、気仙沼線、大船渡線などはルート変更も含めて、まちづくりと一体で考えていかなければなりません。さらに、福島の原子力発電所周辺については全くの白紙状態です。

地震発生直後の対応

  鉄道というのは、なにしろお客様を乗せて運行しているものなので、地震の際、まずはお客様を安全な場所に誘導することが先決です。今回の地震の際も、東北新幹線では、まず最寄駅まで誘導しました。東京に帰るお客様については、そこから羽越線経由で東京にお戻りいただいたので、数日かかりましたが、無事にお帰りいただけました。

 JRとしては、地震発生後すぐに対策本部を立ち上げました。首都圏でも被害は少々ありましたが、東北三県(岩手、宮城、福島)の比ではありません。特に甚大な被害が予想されていた盛岡支社と仙台支社には役員クラスが応援に行きました。私は盛岡支社に行ったのですが、結局11日ほど泊り込んでの対応となりました。

 その後の復旧工事は、土木関係は地元の仙建工業等が担当してくれました。また、多くの日建連会員企業に復旧作業をお願いしましたが、余震が続く中みなさん本当によく頑張ってくれました。

 電化柱については800カ所以上被害がでたので、日本電設、リーテックに加え、JR東海グループの新生テクノス、JR西日本グループの西日本電気システムなどにご協力いただきました。軌道の復旧にあたっては鉄道・運輸機構や私鉄各社から人的物的支援をいただき、またJR各社からは食糧や燃料などもお送りいただき、たいへん助かりました。その他、様々な形でご支援・ご協力いただいた方々に、本当に感謝しております。

新幹線早期地震検知システム

新幹線地震計の設置箇所

  早期地震検知システムですが、これは東北新幹線が開業した昭和57年6月から運用されています。システムは、太平洋側海岸に九カ所、日本海側海岸に七カ所の計16カ所の地震計が設置されていて、地震の主要動(S波)より先に到達する初期微動(P波)を検知して、震源、地震の大きさを予測することができます。東北新幹線は海岸より50kmほど内陸を走っているため、この沿岸部の地震計が有効です。S波の揺れが大きくなることが予想される場合や一定の大きさを超える地震波を検知した場合に送電線の電源を遮断し、各車両のブレーキをかけるという仕組みです。

 今回の地震では、断層の破壊が連続して発生したため、一般的な地震波に比べてP波による地震影響の推定には時間を要しました。そのため、地震計がS波を検知したことによって新幹線のブレーキがかかり、停止しました。列車が非常ブレーキをかけた約70秒後に一番大きな揺れがきたのですが、その時には新幹線も時速約270kmから在来線とほとんど同じスピードまで落ちていました。そこからスピードをさらに下げ、停止するのですが、脱線することなく安全に止めることができたのは、この早期地震検知システムのおかげだと思っています。

人と物資を運ぶ役割

軌道の変位(仙台駅構内)

復旧前

復旧後(3/22施工完了)

  太平洋沿岸で約500kmにわたる広範囲の被害をもたらした今回の地震と津波は、私たちの常識を覆しました。

 当社の施設については、23の駅舎、延長約60kmの線路が津波により流出・埋没する事態となりましたが、走行中の列車については全て無事停車し、津波が来る前にお客様を避難所等へ誘導することができました。これは、日頃の訓練等の賜物であったと考えています。

 一方で、普段は普通に手に入るものと思い込んでいるものがなかなか手に入らない状況になるなど、物資の不足について改めて衝撃を受けました。実際に、10リットルのガソリンを入れるために8時間も並ぶという事態となり、車がなくては生活できない地域とも言える東北地方は、燃料の不足が招く混乱に陥りました。そういった状況の中、鉄道貨物輸送の威力をまざまざと感じたのは、燃料輸送です。3月18日に根岸の製油所を出て、上越線で新潟に行き、その後日本海縦貫線で青森を経由して盛岡に入るという行程で、約1、030kmの道のりを貨物列車でガソリンを運びました。3月18日に出発した貨物列車は「根岸一号」と呼ばれ、タンクローリー40~48台分のガソリンを一気に運ぶことができたのです。また、郡山へは東北本線が開通していなかったので磐越西線を使って運び入れました。

 人や物資を運び、街と町をつなぐということがどれほど大切なことかということを、今回の震災で身をもって知ることができました。早期地震検知システムについては、一層改善を図っていく必要があると考えていますし、せん断破壊先行型だけではなく、曲げ破壊にも対応できる耐震補強も引続き行っていく等の課題も残っていることは事実です。そのような中、我々運輸業が安全に人と物資を運ぶということを改めて肝に命じることとなった機会であるとも感じています。

 日建連の皆様におかれましては、未曾有の東日本大震災、特に津波災害からの復興に全力を注いでいただき、日本のインフラを構築・維持していくという使命を引続き全うしていかれることを期待しています。

 
   
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