ACe建設業界
2011年7月号 【ACe建設業界】
ACe建設業界
特集 人づくり
 第2回 「繋」
最大級の津波を
 想定した減災対策へ
平成23年度
 意見交換会
遠近眼鏡
天地大徳
世界で活躍する
 日本の建設企業
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フォトエッセイ
目次
ACe2011年7月号>遠近眼鏡
 

[遠近眼鏡]

総論から各論へ

 
 
 
唐口徹(Karakuchi Toru)  

 5月18日の関西地区からスタートしていた「公共工事の諸問題に関する意見交換会」が、6月13日の関東地区で終了した。旧日本土木工業協会が国土交通省地方整備局など発注機関と共催で続けてきたものを、日本建設業連合会が土木本部の活動として引き継ぎ、今年度が新団体となって、初めての会合となった。当誌でも詳細を特集すると思うが、それはそれとして、外野席からの感想を述べてみたい。

 新日建連になって、意見交換会がどのような展開になるのか、変わるのか変わらないのか、それが衆目の関心事だった。事実、私自身、何人かの人から問い合わせを受けたが、「継続が力だから変わらないと思う」というのが、その時の答えだった。だが、今年の意見交換会が終わり、それを振り返ってみると、大きく変わり、成果をもたらしたように思う。それは土工協から日建連に変わったということよりは、やはり東日本大震災の衝撃が大きく影響したのだと思う。

 意見交換会の何が変わったかというと、社会資本整備の議論が前面に押し出されたということだ。当初は(1)社会資本整備の推進(地震災害の応急復旧・復興対策、成長促進型公共事業の推進)(2)入札契約制度の改善(総合評価方式の改善、低入札防止対策、現場の生産性向上と適正利潤)―という二本柱でいどむ方針であった。従来も基本的には、この二本柱を基調としてきたが、論議が進むにつれ、即事的問題である(2)の入札契約制度の運用を巡って議論が過熱していた。だが、今回は明らかに(1)の、しかも大局に立った認識や見方を問いかけることの重要性が確認された。

経済効率から社会資本本筋論への回帰

 それは社会資本整備について、これまでのように経済効率からのみ評定するのでなく、防災面も含め社会インフラ自体の価値としてその必要性を官民で確認したことに今年の特徴がある。議論の視点が、社会資本の本筋論に戻ったのである。

 「国土の形やリダンダンシーといった議論が久しく聞こえなかったが、効率性だけでなく、本質的な議論を」(前川秀和北陸地整局長)

 「あれだけの規模の津波を想定していなかったのも事実であり、そういう反省を込めて今後の防災対策に取り組んでいきたい」(下保修関東地整局長)

 「従来は経済性や利便性に重きが置かれていたが、社会資本の持つ防災面も再認識されてきている」(中島章雅九州地整局長)

 「社会資本整備では大きな間違いを犯していなかった。ソフトも必要だが、やはりハードが重要だと改めて認識した」(足立敏之四国地整局長)

 このような地方整備局長の声は、経済効率や費用対効果に焦点を当てて、「なぜ一番をめざすのか」という主張を押し返す、静かな潮流となったということを示している。公共事業は、理化学関連の予算のように「二番、三番でもいい」どころか、最低でいい、ビリケツでもいいという扱いを受けてきた。それはムダ、巨額の税金を使うというイメージが誇大化され、財政悪化の病根と見られてきたのだが、14兆円あった公共事業予算が5兆円になっても財政悪化は一向に改善せず、むしろ長年のデフレ経済のために赤字国債への依存が増大している。

 このように財政や経済効率からみても、公共事業の削減策は限界と矛盾を抱えているのだが、残念なのは、その視点からでなく東日本大震災という惨劇を待たなければ、その流れを変えられなかったということだ。東日本大震災は、そこにあって当たり前という社会資本やインフラの常識が、いかに大事な命の価値であるのかという見方に変えた。道路、上下水道、防潮堤、電気通信、治水利水、そこにあることがいかに大事で生活の下支えになっているのかを体験的に教えてくれた。その未曾有の苦しい経験が、公共事業悪玉の流れを変える力になったことは一種、喜ばしいことではある。だが悪玉論の来歴を考えると、簡単に経済効率性の重きが変わったとばかりに追い風に乗るだけではダメだという気がする。経済効率にも答え、予防減災やリダンダンシーへの投資効果も強調し続けなければならない。

 しかも流れはまだ変わっていない。少なくとも官民で一致した認識を、世論へどう波及させるのかという根本的で難しい課題が残っているからだ。

 緊縮財政論者にとって、公共事業の拡大が目の上のタンコブであり、それを抑えるため公共事業悪玉の世論包囲網の形成を10年がかりで仕組んだという説がある。それが本当かどうか分からないが、気が付いたら何を反論しても公共事業が悪いという風潮は、ただ自然発生的に形成されたものとは考えられない。経済学者にしても、デフレ脱却に公共事業の有効需要が必要だという論者が一人消え、二人消え、そして「誰もいなくなった」というのも不思議な傾向ではないか。

持続的な「意図」をもって世論に向かおう

 ようやく市場主義の弊害が指摘されるようになってきたが、政策や経済学には必ず「意図」が働き、「未必の故意」に満ちあふれているということは事実の一端である。そう考えれば、官民の一致した認識を世論にまで押し上げるには、膨大な「時間」、確固たる「意図」、惜しまない「労力」が必要になると思うのである。特に「意図」は、純朴な建設業界の最も苦手とするところであるが、これからはそれを継続的に持たなければ、何事も世間に通用できない。社会資本整備の本筋を、一つずつ「意図」を持って世論に立ち向かうことが、今回の意見交換会の成果を前に進めることにほかならない。

 まず、第一段階として総論から各論に降りることを提案したい。官民が総論で社会資本のあり方について意見交換し、総論で認識が一致するのは、当たり前と言えば当たり前である。これを各論の中でどう具体化していくか。

 この場合の各論とは、例えばリニア中央新幹線であり、原子力発電の安全性であり、建設中止から進まない八ツ場ダムであり、関越道と外環との結合である。これらの問題に日建連がどう答え、提言していくのか。その各論に踏み込んでほしいというのが、私の思いだ。そこまで踏み込むことによって、世論そして世間との回路が拓け、通じていくような気がする。
 
   
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