ACe建設業界
2011年6月号 【ACe建設業界】
ACe建設業界
特集 人づくり
 第1回 「匠」
被災者の声が
 将来像をつくる
天地大徳
遠近眼鏡
世界で活躍する
 日本の建設企業
建設の碑
現場発見
BCS賞受賞作品探訪記
フォトエッセイ
目次
ACe2011年6月号>ENGINEERING ACTION!
 

[特集] ENGINEERING ACTION!
     東日本大震災 ─そのとき現場では─

被災者の声が将来像をつくる

 
 
 
[文]
川嶋直樹(Naoki Kawashima) 国土交通省 東北地方整備局企画部長

甚大な被害をもたらし、救援ルートさえも寸断され
大災害となった東日本大震災。そのような中、社会基盤整備を担う
国土交通省・東北地方整備局での初動状況のお話を伺った。

枠組みにとらわれない
防災ヘリコプター「みちのく号」の緊急偵察
「くしの歯作戦」による啓開
衛星通信を持ったリエゾン
千年に一度と言われる被害から



枠組みにとらわれない
   ─全権委任された局長による三つの方針─

国道45号線沼田跨線橋の被災状況(3月18日)

  震災直後、災害対策室に集合した関係職員の前で徳山局長がマイクをにぎりました。「みんな、まず落ち着いてくれ。東北地方の太平洋沿岸で想像以上の被害がでている。最悪を想定して準備するように」。

 その後、三つの方針が定められました。

(1)情報収集
(2)救援・輸送ルート確立
(3) 県・自治体の応援

 夜になり、災害対策室のモニターには東京と繋がれたテレビ会議の画面が広がっていました。映し出された大畠章宏大臣の口から発せられた第一声は今でも忘れません。「まずは人命救助。局長は大臣になったつもりで、できることは何でもやってほしい。国土交通省という枠組みにとらわれず、必要な支援を全て行ってほしい」。徳山局長はうなずき、その後迷いのない指示を出し続けました。「局長のもと、とにかく三つの方針に基づき、できることをやろう」そういう気持ちが職員全員に沸き起こったのです。

 もちろんこの建物もものすごく揺れました。私は自席にいたのですが、プリンターは飛ぶ、神棚も落ちる、書類は散乱するというどうしようもない状態でした。おさまったかとおもったら、また揺れるという状況が三分ほど続きました。その後、書類の山を乗り越えて事務室に行くと、天井が落ちかけて煙がもうもうとしているのです。机の下に隠れる職員の表情は、恐怖を体感したなんとも言えない表情であったことを鮮明に覚えています。

防災ヘリコプター「みちのく号」の緊急偵察
   ─(1)情報収集─

  地震直後、ざわつく災害対策室で「ヘリコプターを無人で飛ばします!」という声が響きました。このヘリコプターとは防災ヘリ「みちのく号」のことで、このヘリコプターを整備局職員の同乗なしに飛ばすというのです。パイロットだけで偵察に行くということもあるのですが、極めて稀なケースです。しかし、この冷静な判断が被災状況の貴重な情報収集を助けました。

 こういった冷静な判断の裏には、日ごろ行っていた防災訓練などが役立っているのではないかと思います。東北では岩手宮城内陸地震(マグニチュード7・2)が平成20年にあったので、その時の経験を持っている人が多いのです。そのため、防災訓練においても経験を活かした訓練となるよういろいろと工夫しています。この整備局でも防災訓練は「ロールプレイング形式」という方法をとり、判断しなければいけない職員にはどういう想定であるかを教えずに防災訓練を始めました。あらゆる状況と情報が押し寄せてくるなか、冷静に判断し行動するという訓練を行うのです。みちのく号を発進させようというとっさの判断も、このような訓練の成果だったのではないかと考えています。

「くしの歯作戦」による啓開
   ─(2)救援・輸送ルート確立─

「くしの歯」作戦のステップ図

  通常の災害においては、応急復旧を行ったあと、本復旧を行うという流れで災害復旧は進められます。しかし、今回は違いました。津波により道路が寸断され、応急復旧を行うための点検が行えないのです。このように現場にさえも行かれない大震災の場合は、応急復旧の前に救援ルートを確保する「啓開」が行われます。

 具体的には、津波で甚大な被害がでた太平洋沿岸部への進出のため、県・自衛隊と連携して、東北道・国道四号(南北ルート)から三陸地区への救援ルート(東西ルート)を確保する「くしの歯作戦」を実施しました。全16ルートのうち震災翌日の3月12日には11ルートを啓開することができました(3月15日には15ルート啓開、18日には作戦終了)。

 短期間で啓開できたのは、16ルートにターゲットを絞ったことやあらかじめ締結されていた災害協定により一夜にして52のチーム体制を構築し、人材・機材の確保を行った地域の建設会社の協力を得られたことが大きいと思います。さらには、橋梁が阪神・淡路大震災後の耐震補強により確保されていたこともあります。

 道路以外にも浸水した仙台空港の排水、宮古港、釜石港、仙台塩釜港の航路啓開を行い、アクセスの確保を行いました。

衛星通信を持ったリエゾン
   ─(3)県・自治体の応援─

災害対策室のモニター群。当日は関係職員がこのモニターに映し出される被災状況に言葉を失った。

  自治体機能が失われるという地域もあり、国と自治体をつなぐ役割のリエゾン(災害対策現地情報連絡員)を派遣し、ニーズの的確な把握だけではなく、迅速な対応を行いました。特にリエゾンは衛星通信を持って行きましたので、被災市町村の状況やニーズといった情報を直接把握することができました。これをもとに救援物資の調達に着手しました。救援物資や資機材の調達、搬送にあたっては、全国的なネットワークを持つ日建連東北支部に大きな役割を果たしていただきました。

 さらに、東北地方整備局のホームページで震災関連情報の提供を行い、その中に被災した市町村の生の声や物資補給に関するニーズを情報提供する「臨時掲示板」を設けました。

 他にも、市町村からの依頼を受け、下水道や道路施設の被災状況調査から復旧対策の立案までを行い、県との調整を行った事例もあります。

 これらの支援では、全国から駆けつけてくれた国土交通省のTEC‐FORCE(緊急災害対策派遣隊)に大活躍していただきました。

 本来あるべき自治機能が失われた際に、国土交通省が柔軟にサポートできた背景には、地震発生当初に刻み込まれた「枠組みにとらわれない対応」という意識があったからだと思います。ニーズを把握し次第、迷わず対応することができました。これが県から市町村への支援とは別の面からのサポートとなり、多面的な支援につながったのではないかと感じています。

千年に一度と言われる被害から
   ─社会資本の評価─

 三陸沿岸はかねてより津波による被害が予想されていた地域のため、物流確保を目的として沿岸を南北に走る国道45号より内陸寄りに三陸道の整備が進められている最中でした。釜石山田道路に関しては今年の3月5日に開通したばかりだったのです。先日、この道路に避難して、小中学生が助かったというお話を地元の方にうかがいました。道路が輸送だけではなく、避難地として使われたということです。今後の道路計画の中では、こういった道路の役割も考えなければいけないのではないかと感じています。

 東北の人々は、自身が千年に一度と言われる災害を体験しました。今後、復旧を進め、復興という段階を視野に入れた活動を行っていく際に、今回の震災を経験した皆様の声なしには将来像はつくり出せないと思います。今後の社会資本整備に関しても被災された皆様のご意見をいただきながら考えていきたいと思います。

 震災の夜に大臣が話された「枠組みにとらわれない」という言葉は、今後の復興に際してもキーワードとなって残っていくのかもしれません。国の機関として、我々は多くの体験を伝え、次の指針としていかなければならないと感じます。
 
   
 
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