ACe建設業界

ACe 建設業界【2014年11月号】

【碑文】 井澤弥惣兵衛為永翁像 井沢弥惣兵衛の頌徳碑

七里自然公園

七里自然公園

加田屋川沿いの砂利道を行く

加田屋川沿いの砂利道を行く

見沼代用水東縁

見沼代用水東縁

井澤為永の銅像

井澤為永の銅像

万年寺

万年寺

井澤為永の頌徳碑

井澤為永の頌徳碑

井沢弥惣兵衛の頌徳碑 碑文

【表】

此石碑修福祭祀之微意者
天下泰平而祈萬民於快樂
元文三戌午年
崇岳院殿隆譽賢巌英翁居士井澤氏
三月朔日
武運長久而保栄耀於扶桑
家門繁昌而及武勇於異朝

【裏】

石碑造立之趣意者享保十三申年見沼
御新田開發御奉行之慕恩光處幸武陽
菖蒲縣柴山里人井澤氏之建石碑依信
仰徳郷中無水難而豊饒之由其仰霊験
移其碑於當山者也
   于時文化十四丁丑三月吉辰

井澤弥惣兵衛為永翁像 碑文

【台石正面】

見沼代用水の開削者
井澤弥惣兵衛為永翁像
       渡辺一郎書

【台石背面】

碑 文
 井澤弥惣兵衛為永翁の功績
 井澤弥惣兵衛為永翁は承応三年に現在の和
歌山県海南市に生まれ、若い頃から紀州藩の
土木技術者として亀池の築造をはじめ数多く
の土木事業を行いました。
 享保七年八代将軍吉宗に江戸に召し出され
た為永は、享保十二年に得意な紀州流の土木
技術を駆使して見沼を干拓し、見沼に代わる
水源を利根川に求め、長さ六十粁余りの見沼
代用水を半年余りで完成させ、十二百町歩の
新田を開発しました。これが現在の見沼田ん
ぼです。そのほか用水沿岸のため池も新田開
発され、かんがい面積は一万四千町歩を越え
ました。
 更に日本最古の閘門式運河の見沼通船堀を
造り、江戸と見沼代用水を結ぶ舟運を発展さ
せました。これらの功績により享保十六年に
幕府の勘定吟味役となりました。
 この偉大な功績を永く後世に伝えるため、
井澤翁の生誕三百五十年を記念して賛同を頂
いた皆様と見沼代用水土地改良区でここに銅
像を建立するものです。
  平成十七年十月吉日
  井澤弥惣兵衛為永翁銅像建立委員会