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「働く人」=「WORKMAN」 建築の世界で働くさまざまな人を紹介していきます。



優美な曲線を描く屋根や軒。人々のこころのよりどころとして建てられた神社仏閣は、何百年もの時の中で改修、建て直しが重ねられ、荘厳な姿を保ち続ける。そこには、それぞれの時代の宮大工たちの技と思いが込められている。

吹田市の吉志部神社でも、そんな先人たちの技と思いを受け継ぐ金剛組によって、社殿復興工事が進められている。
同神社本殿は、江戸時代初め、慶長15年(1610年)に再興されたもので、国の重要文化財指定を受けていたが、その400年目を目前にした2008年5月、惜しくも全焼してしまった。しかし、復興に向けて2009年1月に着工。大阪府下唯一の七間社(注1)で華麗な彩色が施された、以前の姿に復元すべく、宮大工や設計士たちが一丸となって取り組んでいる。伝統の技を継承し、そこに現代の技術を加え、100年後、200年後へと伝えていくために。


「昔ながらのものづくり」の醍醐味を味わえる最高の仕事。

現場に一歩入ると、すがすがしいヒノキの香りに包まれる。その一角で床板をていねいにはめ込んでいく高田篤史さん。宮大工になって4年目である。
神社仏閣などの新築、改築、修理を手がける宮大工。神社仏閣は、主要な構造物に、釘や金物をほとんど使わずに木を組む「木組み」で建てられる。組み合わせる材木をのみや鉋(かんな)を使って加工し、それを現場で組み立てていく。機械を使う部分もあるが、基本はあくまで“手”で刻んでいくこと。高田さんはそこに惹かれて、この道に進んだと言う。
「加工場で、図面通りに、こうすればちゃんと組み合わせられると予想して削ったものが、現場に行ってみると、うまくはまらなかったりするのはしょっちゅうで、しかられてばかりです」と高田さん。木は生きもので、一つとして同じものはない。宮大工は1本1本の木の性質や癖を見抜きながら加工しなければならない。さらに現場での天候や湿度を読んで、ミクロン単位で削って微調整を行い、仕上げていく。毎日、新しいことと出合い、それを乗り越えていかなければならない。宮大工は一生、一人前になれないとさえ言われるゆえんだ。


宮大工の“手”となるのみや鉋。日々の手入れが欠かせない。

のみや鉋の使い方、刃物のとぎ方など、「先輩たちに尋ねれば教えてもらえますが、先輩たちの道具の使い方や手の動きを見たり、何度も失敗したりしながら、結局は自分でつかんでいくしかないと思ってます」と、いつも前向きだ。 そのために、高田さんは、「仕事を終えてからも、休みの日も、棚やイスや、何かつくってます」と、いつも木をさわり、木を刻んで、技を体得しようと心がけている。加工場で他の組の同世代の人たちと情報交換することも。 「先輩たちからこまかい指示が与えられるんじゃなくて、ほんの一部分でも、ある程度まかせてもらえると、ホントにうれしいです。まだまだ少ないんですけど」と、顔をほころばせる。「いつか、塔をつくる仕事に携わりたい」との大きな夢に向かって、黙々と腕を磨いている。

 

1986年生まれ。兵庫県出身。高校卒業後、2007年、金剛組専属宮大工8組の中の桝本組入社。


「歴史の一部になっていく」。なによりのやりがいです。

神社仏閣には一つとして同じものはない。昔は、宮大工の棟梁が設計も行っていたが、現在では、図面として残っているものはごくわずか。手探りの中での“設計”となる。地域に適した形態や建て方も考えなければならない。それだけに、専門分野だけでなく、幅広い知識が必要とされる。「どの現場も“初めて”の建物になるので、毎回、違うものを手がけられるのがおもしろい」と、設計士の木本久晴さんは、いきいきと話す。
吉志部神社社殿の場合は、焼失してしまったので、監修の先生の指導を受けながら、焼けた柱や部材を計測したり、組み合わせ方を調べたり、丹念に基本を探った。また、細かい意匠などは、記録として残っているわずかな古びた写真をパソコンに取り込んで引き伸ばして描画し、彫師や塗師たちと相談しながら、設計していった。
また、金剛組が設計・施工した他の物件では、限界耐力計算(注2)などの先端技術も積極的に取り入れ、耐震性も高めている。


神社仏閣の特徴となる屋根の曲線は、宮大工や設計士たちの腕の見せどころ。

もともと、神社仏閣の屋根の曲線や軒などの意匠に魅せられ、この仕事を選んだという木本さん。「数百年後の人たちにも見てもらえる、歴史の一部になれること」が、一番のやりがいで、「言ってみれば、設計するたびに自分の夢がかなっているようなもの」と、毎回、大きな手ごたえを感じているようだ。「持てる以上の力を発揮したい。そのためには本物をたくさん見ることが大切」と、時間を見つけては、全国各地の神社仏閣を巡り、床下までのぞいて見て歩いている。

 

1981年生まれ。広島県出身。近畿大学大学院日本建築史専攻。2007年、金剛組入社。西大寺牛玉所殿大修復事業などを手がける。

 

※注釈

1)七間社:正面の柱間が七間あり、それぞれにご祭神が祀られている造り。

2)限界耐力計算:建物を構成する柱・梁などの構造物や部材が、地震の際、自身の重さや外部の力によってどのような動きをするのか計算して、耐震性能を確かめる。金剛組では、このほか「エアー断震システム(センサーが揺れを感知すると、タンクに貯めておいた圧縮空気を人工地盤と基礎の間に送り込み、建物全体を浮かせ、建物と地面との接触部分をなくす仕組み)」技術も取り入れるなど、先端技術を積極的に取り入れ、伝統的な意匠を守る工夫も施している。