令和の健人

新時代「令和」を担う技能者。
「令和の建人」は建設業のなかで重要な技能を誇り、その修練に努める次世代の人々を追う企画です。
多くの技能の中には受け継がれてきた人の想いが詰まっています。それらを掘り下げ、日々の仕事を記録すること。これらがきっと建設業にひとすじの光となり、新時代への道筋を照らすと信じて。

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第5回

何度も積み直し、“とおり”を見ながら石と語らう

谷森翼さん・牟田貴信さん

石積み職人
石材を加工したり積み重ねたりすることで、床・壁・石垣などをつくる仕事です。
石垣は、かつて城郭や神社仏閣の土台として広く用いられ、現在も日本各地に史跡として残っています。年月を経ると、石が抜け落ちたり、「孕み(はらみ)」と呼ばれるふくらみが生じたりして崩落の原因となるため、いったん石を取り外して積み直す「修復作業」が必要となります。わずかでも崩壊すると正確な復元が難しくなり、また貴重な文化財の一部であることも多く、そのメンテナンスは重要度を増しています。
城郭・寺社仏閣の石垣は、使われている石の種類、石垣の積み方など千差万別であり、その修復作業には知識と経験が求められます。

北の大地で、石垣を直す

北海道函館市の史跡、五稜郭。江戸時代末期、北方の防備強化のために建造された城郭で、戊辰戦争最後の戦場「箱館戦争」の舞台になったことでも知られる国の特別史跡である。
2018年4月に石垣の一部が崩れていることが判明し、現在修復作業が進められている。

イメージ五稜郭タワー(展望台)から望む。 写真中央右寄り、ネットで囲まれた部分で石垣の修復を行っている。

1㎡あたりおおよそ8個、全部で約900個の石垣をいったんすべて取り外し、内側の土塁の部分を強化してから石を積み直している。 石垣が崩れてしまう原因はいろいろあるが、函館のような寒冷地では、石と石のすき間に入り込んだ水分が冬場に凍って膨張しすき間が拡大、春になってそれが溶ける…ということを繰り返しているうちにだんだんと緩んでしまう。また、土塁に使われている土も粘土質で、年月を経ると崩れやすくなってくる。

この五稜郭の石垣修復を手がけている2人の職人、谷森さんと牟田さんは、いずれも一人親方として中村石材工業㈱から石積みの仕事を受注している、その道のスペシャリストだ。

イメージ石は1個ずつ、2人1組で微調整しながら置いていく。

地道に一個ずつ

一般に、史跡などの石垣を修復する際は、文化財保護の観点から建造当時の石積み技法に従って、建てられた当初の形状を忠実に再現する。
その方法は、石をいったんすべて取り外してそれぞれの状態を確認し、再使用できるものとそうでないものに分別。再使用できない部分には新たな石材を用いつつ、緩みや孕みが再発しないようすべての石を元あった場所に積み直していくという地道なものだ。

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「石積み」との出会い

谷森翼さんは、1980年大阪府生まれ。高校卒業後、野球仲間だった兄の知人に誘われてこの職に就いた。
「最初はきつかったですね、体力的に。一日終わったら全身筋肉痛という感じでした」

石垣修復に限らず、マンションの石畳や公園・花壇の石囲いなども施工するが、でき上がったものが残るというこの仕事の醍醐味を感じて続けてきた。

これまでの現場で印象に残っているのは?
「大阪城と、姫路城。やっぱり大きな城の石垣は、大変だけどやりがいがありますね」
この現場に来る前は、地震で大部分が崩落した熊本城の石垣修復工事に2年半従事していた。
「今は作業が一段落しているのでその間にこちらに来ていて、4月からまた戻る予定です。熊本城は、あと20年、30年かかるんじゃないかな。それくらい大変な現場です」

イメージ取り外す前の写真と比較しながら、次に置く石を決める谷森さん。
「いくつも置いた後、やり直しになることもあるんで、責任重大です」

もう一人の職人・牟田貴信さんは、1974年兵庫県生まれ。父も石積み職人であり、その仕事を手伝い始めたのがきっかけだった。

「ここに来る前は、青森県の弘前城の現場で石垣解体作業に携わりました。弘前城の工事はまだ完了していませんが、時期的に天候などの面でこちら(五稜郭)の方が大変だということで、去年(2019年)の11月からここでやってます」

弘前城石垣修理事業は、石垣を修復するために上に建っている天守を曳家工事で約70m離れた別の場所にいったん移設するという大規模なプロジェクトを進めていることで知られている。
「若い頃には松坂城(三重県)や郡山城(奈良県)の現場に行ったことがあります。よく『同じ現場は2つない』って言いますけど、石垣もまさにお城によって石材も積み方も違うので、毎回苦労してますよ(笑)」

修復以外に、造園工事などで新規で石を積む仕事もあるが、
「やっぱりこの仕事(修復工事)を多くやっていると、元どおりきれいに納まると気持ちがいいというか、昔の職人さんとの対話じゃないですけど、面白さを感じます」

イメージ次に置く石の表面を確認する牟田さん。 石を積む角度によって傾斜が決まるため、慎重に設置する。

二人三脚で、石を積む

2人は作業をどのように役割分担している?
「僕が表側で、以前の写真と見比べながら石の傾きや石の“突き方”(石と石の接し方)を見ます」(谷森さん)
「僕は裏側にいて、石の“とおり”を見ます」(牟田さん)
“とおり”とは、石がその列の中で極端に飛び出したり引っ込んだりしていないか、また勾配が想定どおりになっているかのチェックだ。

イメージ谷森さんが石の「突き方」を、牟田さんが「とおり」を確認しつつ二人で石を積んでいく。

石垣の積み方にもいろいろあるが、ここ五稜郭の石垣は、加工された石を用いて積む「谷積み」と「布積み」が主な方式。すき間が多いので排水性にすぐれているが、先述のとおり内部に入り込んだ水分が凍ると崩れやすくなる原因となる。

また、ここで使われている石は、表からの奥行きが短いために外れやすい、上からの圧力には強いが地震などの揺れには弱い、という特性があるそうだ。
石のほとんどは、江戸時代末期の建造当時、近くの七飯町(ななえちょう)から切り出してきたといわれる安山岩。今回の修復では一部の石が割れて再利用できず、壮瞥町(そうべつちょう)から新しい石を搬入した。

イメージいったん取り外して並べられた石垣の石。番号を割り振って、もとあった場所などを管理している。

「石垣を修復する」ということ

石垣の修復で大変なところは?
「崩れたということは、何か原因があるわけですけど、それがパッと見てわかるような原因とは限らないので、やりながらそれを探っていくことですかね。今回の五稜郭で言えば、石垣の裏の土塁が弱っていたので、そこからやり替えています」(谷森さん)
「石の表情にもいろいろあって、自分が『こうだ』と思う置き方と元々の置き方が違う時は悩むこともありますね」(牟田さん)

残りわずかとなった五稜郭の工事が終わり次第、2人はそれぞれ別の現場で、再び修復作業に従事していく。日本各地の石垣は、こうした職人たちの地道な仕事で守られているのだ。

イメージただ元どおりに積み直せばいいというわけではない。
「修復」した以上は、以前より強固に、耐久性にすぐれた石垣につくり替えなければならないのだ。
イメージ今回修復している箇所以外にも、五稜郭の石垣には「孕み」が見られる。
「職業柄、目に入ったらやっぱり気になりますね」