ACe建設業界
2012年3月号 【ACe建設業界】
ACe2013年3月号>碑文
 

[碑文]

彌彦神社事件の碑 碑文

 
   
 

【表】


昭和丙申の歳旦随神門のあたりにて
許多の人のみまかりし思はぬ禍事の
                ありつれば

          神宮祭主 房子
ひたすらにたま安かれといのるかな
悲しみ消えず雪はとけれど




【裏】


彌彦神社には従来元旦の午前零時を期して数
万の崇敬者がひたすら敬虔の念を以て静かに
大前に進んで参拝する慣わしがある 然るに
昭和三十一丙申の歳旦にはいかなる禍霊のす
さびにや随神門前の石階で上下の人人互に押
し合い遂には仆れ伏すもあって実に死者百二
十四名並びに数多の負傷者を見る痛恨事が突
発した 予同年二月一日宮司の任を帯びて来
り初めてその石磴下に立った時大神に対し奉
りて畏く死者に対して痛ましく唯粛然として
声なく涙の止まるを知らなかった 同十月二
十一日社内にて第一回の慰霊祭を行ったが事
 聖聞に達し畏くも 両陛下から生花一対を
下賜せられ北白川神宮祭主(明治天皇皇女元
北白川宮房子内親王殿下)また御供物を霊前
に献ぜしめられ県内外の名士多数参列遺族悉
く参会して一同故人を悼み更に追懐の涙を新
たにした 尓来再び前車の轍を踏まじと階段
の石を改め玉垣を修め周辺を整え其の工漸く
成ったので茲にかねて北白川祭主から賜わっ
た御歌を石に勒し之を神社の桜苑に建て以て
死者の霊を慰め又事由を誌して永く後人の戒
めとなさんとするものである
  昭和三十七年五月
       彌彦神社宮司 野上正篤

 






 
寝太郎之像 JR厚狭駅前 在来線側
弥彦神社拝殿 事件があった石段と随神門.


寝太郎之像  
弥彦神社事件の碑  








 
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