ACe建設業界
2011年10月号 【ACe建設業界】
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[碑文]

新倉掘抜記念碑

 
 
 
 

碑文(表)



富士山の噴火により堰き止められた河口湖
の度重なる増水によって湖畔住民は永年水害
に苦しみ、一方溶岩丸尾上の新倉村(現富士
吉田市)は、水不足のため常に悩まされて来
た。
 この窮状の打開策として今から約三百年前
 新倉村民の熱意と領主秋元但馬守の英断に
より、この正面に見える「うそぶき山」に元
禄三年はじめて隧道の掘さくが計画された。
 工事は山の東西両側から同時に着工され、
苦斗十年に及んだが両坑の喰い違いから無念
の涙をのんで断念された。
 然し工事は村民の執念で約百五十年後の弘
化の末に再開され、当時の幼稚な測量術と工
法のもとで二十年間不撓不屈の努力が続けら
れ、慶応二年世紀の大工事が漸く完成し、そ
の延長は実に四籵に及んでいる。
 今は新隧道の開通によりこの掘抜も血と汗
の歴史を秘めたまま廃坑となり地下に眠って
いるが、掘抜の水によって富士吉田市民及び
湖畔住民の受けた恩恵は計り知れないものが
ある。
 富士吉田市は新倉掘抜保存会と協力し、我
々の遠い先祖の偉業の顕彰と、併せてこの遺
跡を永く後世に傳えるため取水口であるこの
地に記念碑を建立する。

昭和五十年五月
 富士吉田市長 石原茂 


碑文(裏)


富士吉田市
富士吉田市教育委員会
新倉掘抜保存会


 
 


 
新倉掘抜 赤坂出口 新倉掘抜史跡館 外観
新倉掘抜 赤坂出口 新倉掘抜史跡館 外観


史跡館の地下に眠る新倉掘抜  
史跡館の地下に眠る新倉掘抜  
 
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