職員室
以前は3ヶ所に分かれていた職員室を1ヵ所に集結。外から存在がわかるようガラス張りにし、生徒が中を歩き回らないよう入口付近に質問スペースを設けました。

質問コーナー
職員室すぐ横にできた質問コーナーは、職員室内で解決できなかったり先生にもっと質問したいという時に利用できる場所に。壁一面がホワイトボードになっており、板書しながら問題解決ができます。

学園広場と「思い出の木」
以前は雑木林だったNGプラザ周辺の丘には、芝生を敷き詰め、憩いの広場になっています。朝夕は、ここで吹奏楽部が音楽を奏でています。「思い出の木」は、かつての記憶を受け継ぐために工事中も大切に残された木です。

※PHOTO a.fukuzawa


地元のご理解を得ることも大事な仕事。後は黙って安全に仕事を行うのみです。

本プロジェクトは、諸問題により着工時期が少しずれた。その時生徒たちから出た「自分たちが卒業するまでに本当にできるんだろうね。約束だよ」という言葉は、中村さんと松村さんにとって何よりのプレッシャーだったかもしれない。

工事現場所長を勤めた中村さんと課長の松村さんが動き始めたのは着工前の10月頃。最初の仕事は近隣住民と保護者への説明会だった。
「まだ辞令が出ていないのに、保護者の前で『私が工事します』と宣言してね(笑)。生徒にも『僕らがやるんだよ』と言ったら、次会った時には『工事のおじちゃんや』と呼ばれるようになりました」と中村さんはうれしそうに話した。
工事は奈良学園の敷地内だが、敷地向かいには小学校があり、通学路を大きな車が毎日通ることとなる。そこで町の自治会に説明に回り、安全確保のために登下校時はガードマンを最盛期9~10人配置することとした。そうした折衝を行い調整をし準備を調えてから施工は始まった。経験豊富な二人だが、風致地区での建設に当たっての厳しい条件に戸惑うこともあった。例えば、仮設事務所は従来の四角いプレハブではなく屋根を三角のものにと指定され、なんとか全国から集め、2週間遅れで事務所建設は開始できた。
また通常の施工と違ったのは、ものづくりの現場も生徒たちに見せて体験させるという点だ。二人は常滑市に生徒たちとタイルを作りにも同行し、施工中現場を覆う外壁を部分的に透明にし、中の様子が見えるようにもした。松村さんは、学校帰りの生徒から「お疲れ様でした」という一言を投げかけられ、毎日の苦労がそこで救われたと言う。

松村さんが施工に携わっていた案件にちょうどセミナーで生徒が訪れた。 コンクリートの作り方を実際の工事現場で体験。二人は講師役に。 INAXの工場へタイルを制作に。これにも二人は同行した。

学校がある地形は本館と高低差があり、間に道路があるので現場が一つではなく二つあるようなもの。道路を常に生徒や先生が通る上を、フランス製の大きなトンボクレーンが2台使われた。これは製通常工場やドックなどで使われるもので作業半径は50m。その大きさは遠く山すそからもクレーンだけは姿が見えていたほどで、共に参加した社員も初めて見るという人も多いぐらい珍しいものだった。
「建設に入る前に生産計画室で大まかな架設計画をするのですが、その時は従来の自走式クレーンでできるとしていました。しかし、現場を見ると高低差が大きくてとてもそれでは仕事ができないということで急遽導入しました」
そうした思い切りのよさももつ中村さん。子どもたちから寄せられるクレーンへの疑問や「登りたい」「運転させてほしい」という声にも日々答えながら仕事を全うした。
そうしてできあがった学校を、今二人は誇らしげに見る。竣工後、文化祭に訪れた他校の子どもたちの「超うらやましいな」という声を聞いたと、中村さんは教えてくれた。