大階段
「学校のシンボルがほしい」という要望からつくられた大階段。登校・下校時には必ず通る場所として利用されています。卒業写真もここで撮影されるようになりました。


溜まり場
手洗い場には生徒たちが集い語り合える場所を設置。壁は、「吹き抜けの大きな窓をつけてほしい」という生徒の声に応え、大きな明かり取りの窓を設けました。

※PHOTO a.fukuzawa

営業というものに対する意識が大きく変わった仕事でした。

実は下村さんは今回のプロジェクトが行われた奈良学園の第7期卒業生。彼が母校へ営業に訪れたことが、この一大プロジェクト実現への第一歩になった。
「2005年、私はそれまでの仕事から一転、突然京都営業所で営業勤務に。最初は初めての営業職に戸惑うばかりでした。そこで、困り果てて、『先生帰ってきました』と母校を訪ねたのです」

それまでの下村さんは、建設会社は施工や建設が最前線にあるべきで、一番のポジションは現場であり、現場に携わっていることやその経験があることが重要だと考えていた。
「営業は仕事を受注したら終わりだとも思ってました」
しかし、今回の仕事ではクライアントである学園と営業マンや設計者が直に接し、フィードバックがすぐに返ってくるという状況。いつしか彼らと同じ意識を持って営業活動に取り組み、プロジェクトの骨子作りからリーダーリップを取り、進行や設計にも加わった。結果、営業職に大きく開眼、その動きは他のメンバーからも絶賛の嵐を受けた。

恩師でもありプロジェクトの担当者だった新川先生。
しかし、そうした苦労を感じさせず、ただ「20何年ぶりに通学しましたよ。それに、開校当初より学園設計を手がけておられる福本設計さんとご一緒できた(当プロジェクトの設計は、鹿島・福本の共同による)のも心強かった」と楽しそうに笑う。
「今は営業は究極の企画だという気がしています。皆さんを支え、一緒に最後まで到達することが私の仕事だと改めて思いました」

「今回のプロジェクトは、おそらく教育現場と建築現場が融合し結果を出した全国初の事例ではないでしょうか」と胸を張る。
奈良学園の創世記の在校生として、学園のDNAを受け継ぐ下村さんがかけた一本の電話がいつしか太い線となり、気がつけば鹿島建設でなければできない工事だと思うまでになり、営業に大きく踏み込むこととなった。振返るとすべては偶然なようで必然だったと感慨深げだ。
「ずっと脈々と培ってきたものが続いていて、その思いを受け継ぐ後輩たちと一緒に学んだ校舎が新しくなる。子どもたちが完成した校舎を見て『最高です』と言われて、自分はいいことしたんやなとうれしく思っています」

学校との打ち合わせは先生方の授業終了後から夜遅くまで行われた。

先輩だからこそ知る立地や周囲の環境についてなども後輩に語った。